重陽の節句の意味と背景:由来、別名、そして菊の役割

皆さんは「重陽の節句」についてご存知でしょうか?

多くの現代の日本人には馴染みが薄いかもしれませんが、重陽の節句は「上巳(じょうし/じょうみ)の節句(桃の節句)」や「端午の節句」と並び、古代中国から伝わった五節句の一つとして、現代の日本文化にも深く影響を与えています。

かつては平安時代から江戸時代にかけて、五節句の中で最も華やかに祝われる行事でした。現在ではあまり盛大に行われることは少なくなっていますが、その歴史的な背景と文化的な価値は非常に大きいのです。

この記事では、重陽の節句の起源、その過ごし方、そして関連する食文化について詳しく掘り下げてご紹介します。

重陽の節句の意味と現代への影響

「陽が重なる」と表記され、「ちょうよう」と読まれる重陽の節句は、日本の伝統的な五節句の一つです。この節句は他の四つの節句、即ち人日の節句、上巳の節句、端午の節句、七夕の節句と並んでいますが、なぜか重陽の節句だけが一般にはあまり知られていません。

一般的に親しまれる他の節句と比較して、重陽の節句があまり浸透していない理由は、その由来や背後にある文化的な意味が複雑であるためかもしれません。重陽の節句は、古代中国に起源を持ち、陽気が最も盛んな時期、即ち9月9日に行われます。この日は「重陽」と称され、二つの「陽」が重なることから、長寿や繁栄を願う日とされています。

日本においても、この節句はかつては華やかに祝われており、菊の花を用いた行事や菊酒を飲む風習がありました。しかし、時代とともにその風習が薄れ、現代ではほかの節句ほどの認識はなく、特に都市部ではほとんど祝われなくなっています。

この節句の歴史的な背景や文化的な価値をもっと理解し、現代の日本文化においてもその意義を見直すことが、重陽の節句を再び広める一助になるかもしれません。それには、その由来と共に祝われる風習の美しさや、それが持つ文化的な意義を伝えることが重要です。

重陽の節句の起源と文化的背景

中国では、奇数を「陽数」と呼び、特に縁起が良いとされています。この中で「9」という数は最も大きな陽数とされ、その「9」が二つ重なる日、すなわち9月9日は「重陽の節句」として制定されました。この日には、無病息災や子孫繁栄を願う祝宴が開かれるのが伝統です。

一方で、陽数が重なることは災いが起こりやすいともされ、不吉な影響を避けるために邪気を払う風習も根強く残っています。この日に様々な儀式を行い、災厄を回避しようとする文化が古代から続いてきました。

平安時代には、他の五節句と共に日本に伝わり、特に平安貴族の間で季節の移り変わりを告げる節句として広まりました。旧暦の9月9日は現在の10月中旬ごろにあたり、この時期は菊の花が見頃を迎えるため、「重陽の節句」は別名「菊の節句」とも称されます菊は邪気を払う力があると信じられ、菊の花を愛でたり、菊花を漬け込んだ酒を飲むことで、健康や長寿を願いました。

また、菊に綿をかぶせ、その綿に溜まった夜露で肌を拭くと、若さを保つことができるという言い伝えがあります。この「着せ綿」は和菓子の題材としても用いられ、茶席での季節感を表現するために好まれました。

しかし、明治時代に入ると、政府による改暦で旧暦から新暦への移行が行われ、その過程で重陽の節句は次第に廃れていきました。新暦の9月9日は、菊の花がまだつぼみかどうかの時期であり、夏の暑さも残る中で季節感が失われたことが影響したと考えられます。江戸時代には庶民にも親しまれたこの節句ですが、季節の節目としての役割を徐々に失い、現代ではその意義が薄れてしまっているのかもしれません。

重陽の節句の現代における継承

重陽の節句は、日本の五節句の一つとして古くから伝わっており、松尾芭蕉の句や『枕草子』にもその名が見られます。現代ではあまり馴染みがないかもしれませんが、一部の地域では今でもその風習や行事が色濃く残されています。

具体的には、菊の花を用いた行事が代表的です。たとえば、菊花を飾ったり、菊の花びらを浮かべた酒を飲む「菊の宴」が一部の地域で今も行われています。これは、菊の花が持つ清浄な力で邪気を払い、長寿や健康を願うという意味が込められているからです。

また、重陽の節句には、「登高」という風習もあります。これは、高い場所に登って遠くを望むことで邪気を遠ざけ、自らの身を清めるという意図があるとされています。この風習は、特に自然が豊かな地域で今でも守られていることがあります。

これらの伝統的な風習を通じて、古の人々は季節の変わり目を健康と共に祝う知恵を育んできました。重陽の節句は、そのような伝統を今に伝える大切な節目であり、地域によって様々な形で受け継がれているのです。

重陽の節句の伝統と変遷重陽の節句とその変遷

かつては季節の節目として重んじられた重陽の節句も、今ではその意味や季節感が薄れ、広く行われるお祝い事としての風習は少なくなっています。しかし、その伝統を色濃く残す行事はいくつか残っています。

重陽の祭りとして変化した「くんち」

重陽の節句は、もともと秋の節句であり、全国各地で作物の収穫を祝う行事として形を変えて受け継がれています。特に九州地方で親しまれている「くんち」は、重陽の節句を起源としています。くんちとは九州の方言で9日を意味し、収穫を感謝して行われる秋祭りで、「長崎くんち」「唐津くんち」「博多おくんち」は「日本三大くんち」と称されます。これらの祭りでは、華やかな神輿や龍踊りが披露され、長い歴史を持つ諏訪神社の礼祭としても知られています。

長寿を願う風習「後の雛」

また、江戸時代からの風習である「後の雛」は、3月3日の上巳の節句に飾られた雛人形を、9月9日の重陽の節句に再び飾る行事です。これは雛人形を通じて、女性の長寿や健康を願うと共に、価値ある雛人形を長持ちさせる知恵としても位置づけられています。この風習は、「大人のひな祭り」とも呼ばれ、女性の一生を祝う重要な日とされています。

菊の花を愛でる「菊合わせ」

さらに、平安時代から続く「菊合わせ」は、菊の花を愛でながら詩を詠む貴族の宴の風習が起源です。これが進化し、育てた菊を持ち寄り、その美しさを競う品評会へと変わりました。今でも全国で行われる菊の品評会は、日本の晩秋を彩る伝統行事として重要です。

華道での菊の利用

また、華道では季節の節目に特定の花を使って花を生ける習わしがあり、重陽の節句には菊だけを使った作品が作られます。この習慣は、華道の世界で季節感を表現する重要な方法として、重陽の節句を特別な日として位置づけています。

これらの行事は、重陽の節句が今日においてもその価値を留め、伝統文化としての役割を担い続けていることを示しています

重陽の節句と秋の行事食

重陽の節句における行事食は、旬の食材を活用し、健康を祈願する日本特有の文化です。七草の節句で七草粥を食べるのと同様に、重陽の節句にも季節に合わせた特別な食事があります。

「菊酒」:高貴な花から生まれる伝統の一杯

菊は「高貴」という花言葉を持ち、その花びらを使った「菊酒」は不老長寿の願いを込めて楽しまれます。花びらを蒸してから冷酒に浸すことで、上品な花の香りが酒に移り、味わい深い一杯となります。現代では、年間を通じて栽培される食用菊を使い、その香りと色彩を楽しむことができます。特に残暑が厳しい9月には、その殺菌・解毒作用もあり、身体を整えるのに適しています。

「栗ごはん」:秋の味覚を象徴する行事食

秋といえば栗の季節。8月中旬から市場に出回り始める栗を使った「栗ごはん」は、重陽の節句の代表的な行事食です。江戸時代から続くこの風習は、栗が持つ抗酸化成分やビタミンCが、夏の疲れを癒やすのに役立つとされています。

「秋茄子」:季節の変わり目に食べる健康の秘訣

重陽の節句に秋茄子を食べる習慣は、「くんちに茄子を食べると中風にならない」という言い伝えに由来します。秋茄子は夏の終わりから初秋にかけて収穫され、その旨味が凝縮された状態で市場に出されます。旧暦に合わせれば、10月初旬に食べるのが最も季節感があるため、現在の9月9日には実際には夏茄子として楽しむことになります。この美味しさを理解すると、「秋茄子は嫁に食わすな」ということわざの意味も新たな視点から見えてくるかもしれません。

これらの食文化は、重陽の節句がいかに日本の四季と深く結びついているかを示しており、食を通じて健康や長寿を願う日本の美意識を反映しています。

五節句の伝統と現代への影響

五節句は中国から伝わり、江戸時代には公式な式日として広く庶民にも親しまれるようになりました。ここでは、重陽の節句以外の四つの節句について簡単に紹介します。

1月7日:人日の節句・七草の節句

新年を迎え、一年の健康を願って七草粥を食べる風習は、多くの人に親しまれています。この日は春の息吹を感じさせる新鮮な七草を用い、無病息災を祈る伝統的な正月行事として、現代にも継承されています。

3月3日:上巳の節句・桃の節句

女の子の成長と幸福を祝う日として知られるこの節句は、「ひな祭り」としても親しまれています。雛人形や桃の花を飾り、ちらし寿司や菱餅を食べることで、家族の健康と幸福を願います。

5月5日:端午の節句・菖蒲の節句

男の子の健やかな成長を祝うこの日は、鎧兜や虎の人形を飾り、鯉のぼりを上げることが特徴です。菖蒲の花が添えられるのは、その葉が剣の形をしているためで、無病息災と勇気を象徴しています。

7月7日:七夕の節句・笹竹の節句

織姫と彦星の伝説に基づくこの行事は、短冊に願い事を書いて笹竹に飾る夏の風物詩です。元々は豊作を願う祭りであり、縫製や染織の技術向上を願う行事としても行われています。

これらの節句は、季節の移り変わりを感じさせ、それぞれの旬の植物を用いて健康に過ごせるよう願うことが始まりです。重陽の節句以外の節句が衰退しなかったのは、その風習が生活に根づき、定番化したからでしょう。

五節句の歴史とその現代への影響

古代中国から伝わり、平安時代以降も日本人に親しまれ続けてきた五節句は、その長い歴史にもかかわらず、明治6年(1873年)に公式な制度としては廃止されました。しかし、その精神は形を変え、今日の私たちの生活に根ざしています。

中でも、重陽の節句は時代の流れと共に徐々にその存在感を薄れさせてしまいましたが、その背景にある意味や由来を知ると、その忘れ去られた価値に改めて注目することが重要です。無病息災や不老長寿を願うこの節句の本質を、新たな視点で捉え直し、現代においてもその価値を見いだす努力が求められています。

豆知識
じんぶろ

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